竪琴の歴史

May 5, 2018

                 【竪琴(ライアー)と歴史】

 

人間文明のはしりは、メソポタミア、中国黄河流域、インダスなどと言われてきました。
あまり知られていない話ですが、1960年代にアメリカの考古学者(ペンシルバニア大学)とタイ芸術局によってその説は否定されました。しかし、その説はそれまでの世界観とは異質な展開ゆえ、発掘調査の証拠があるにも拘わらず、学界から否定同様に扱われ今日に至っています。その人類学者の名は、スティーブンヤング。

 

簡単に具体的に述べますと、、、タイ メコン川流域のある地域の古い地層から遺物が出土することが、住民によって長い間語られていました。その地域とは、、、タイ北東地域 ウドンタニ県 バンチェン村 と言います。驚くことに、紀元前6000年から紀元前5000年前という年代測定結果がでたのです。彼らはバンチェン遺跡と名付けました。1972年に2回目の発掘調査がなされ、確実な事実は紀元前1600年から紀元前2000年頃すでに農耕が行われ、土器、鉄器、青銅器が作られていたという結果だったのです。紀元前6000年から紀元前5000年くらいにはすでに農耕文明が始まっていたようですが、彼らは確実性を優先し、紀元前1600年から紀元前2000年頃と決定づけました。 その後、再びの調査が行われ、紀元前4500年までは確実に遡れる事が把握されました。

 

それは何を意味するのでしょうか?その意味する事とは、、、東南アジアにおいて紀元前4500年以前から、農耕文化が開花し、土器、金属製品が作られ、メソポタミアとは別途に人類の文明が始まっていたという事であり、そのバンチェンを中心とする文明が、実は中国(当時は中国ではなく、未開の大陸)の黄河流域などへもたらされていた、という歴史だったのです。黄河流域から文明が発祥したという歴史認識は靴替えされたのです。なぜなら農耕文化を基とする、土器、金属製品は、黄河流域から出土しても、それはバンチェンのオリジナルそのものだったのです。中国政府はこの事実を認めていませんが、、、

この辺りから歴史は面白くなるのですが、ここで止めておきましょう。

 

バンチェン村の生活様式が分かってきました。彼らは農耕と海の民族であり、ヒマラヤ山脈から産出する錫と銅を使い青銅器を作っていました。もちろん鉄器もです。村には厳しい戒律があり、この当時の【全人類】は基本的に人肉を食していました。良い悪いの意識以前にそれが当然の社会的行為であり、生贄の儀式が行われれば、生贄は当然生きた人間です。メソポタミアでもその他の地域でも、人類が居する地域では自然な行為だったのです。それは祭祀という神への恐れから生まれた自然発生的な現実であり、階級制度を持ったものなのです。往時の人類は大自然という神にたいして、現代人とはまったく異なる程の恐れ慄きをいだいていました。祭祀の意味はもう一つあります。食事をとる、という行為です。自然神と同調し、一緒に食事をとることは、祭祀だったのです。

 

そんな時代背景のバンチェン紀元前4500年も前の地層から、木製の小さな琴のような物が出土しました。弦を張れば、今にも音が出そうな物でした。彼らはそれを楽器と見なして音楽を奏でていたのでしょうか?

 

           【これがこのお話の命題なのです。】

 

この琴のような物は高床式の祭祀場の床の下、土の上に置かれたのです。土の上へ置き何をするのでしょう。床の下の、土の上へ琴を置いても音は出せません。彼らは床の上で、床を足や両手で叩き続け、あるいは麻から作った大麻を吸い、踊り狂ったのです。その振動が土の上に置いた琴に伝わり、琴が響くのです。その響きは土、即ち、大地へと伝わり、大地という神の振動と同調するのです。この伝統は日本では能の舞台設定の歴史にも繋がり、能舞台の床下には共鳴箱や神木が埋められていましたが、最近では聞かれなくなりました。

 

大地は人類へ恵を与えてくれると同時に、大地に巣くう神は、人類へ恐怖と災いをも与えます。彼らは大地へ巣くう畏敬の神へ生贄を捧げるとともに、大地と共鳴することによって、恵ある生を保証してもらう事を期待したのです。共鳴を助ける物が琴になっていったと思われます。それゆえ、神へ仕えるシャーマン、巫女が登場するようになります。

 

この木製の琴は、その後、青銅器の銅鐸(どうたく)へ変化していきます。日本の出雲において大量の銅鐸が発見されましたが、全て土の中に整然と並べられていました。銅鐸は年1っ回(年2回説あり)土から掘り出され、祭祀場へと向かい、内部の振り棒のような物で叩き、低い大地の震動と調和した時、恐れ多い神と遭遇するのです。

 

バンチェンで生まれた木製の祭祀用琴が金属の銅鐸へ変化し、日本の出雲で大量に発見された事は何を意味するのでしょうか? 歴史って面白いですね。

 

ところで、今日、竪琴(ライアー、リラ)は癒しの楽器として使われることが多いのは事実ですね。バイオリン、チェロ、ピアノ、ギターなどの弦楽器はこのバンチェンの床下へ置いた木製琴がルーツかもしれません。特に今日、竪琴はスピリチュアルな楽器として使われています。わたしには紀元前数千年も以前に考案された床下琴が、今日、往時のスピリチュアルな側面を受け継いでいる楽器であるように思われます。西洋では竪琴の神様まで作られています。バンチェンからの琴は、恐らく床下から床上へ置かれるようになり、更に時代が経過し、音楽を奏でる様に弦が張られたことでしょう、当初、弦の数は十進法の10本か曜日に相当する7本で落ち着いていたと思われます。音程は大地との共鳴の為、とても低いヘルツのはずです。古代の人々は大自然が低いヘルツ振動を持つ恐れ多い神だったゆえ、祭祀の調べには、とても低い音を好んでいたのでしょう。


バンチェンにおいて弦を張った横向きの琴が作られる様になると同時に、その琴はインドを経て、チグリス ユーフラテス流域のメソポタミアへ伝えられ、縦型へ変化していきます。エジプトではアフロディーテの神が竪琴を奏で、ローマギリシャではアポロンの神が竪琴を奏でます。一方、バンチェンから東方へも横型琴は伝えられ、黄河流域の国家群、満州方面では横型のまま横琴として発達します。琵琶は横型琴が縦に変化した楽器の一つでしょう。あの低音域のみの音色からして想像がつきます。

 

日本ではどうでしょうか? 日本へはバンチェンの種族とオリエント地中海沿岸のフェニキア人、イスラエル人、エブス人、カルディア人 などが合同して巨大なタルシシ船に乗り、九州北部大分県へ東表国(トウビョウ)を作り、一大製鉄基地を建設しました。この時の船長の名前がある資料から分かっています、エブス人クロタシロスと言います。宇佐八幡宮はその痕跡であり、バンコ神、犬神を祭っています。彼らはその時、竪琴、横琴を持ち込みましたが、横琴が日本では一般的になりました。入植してきた時期は紀元前1000年~紀元前1500年頃と思われていますが、考古学会ではこの説を否定しています。しかし製鉄の巨大な遺跡が発見されている以上、否定できないのですが、日本書紀の記述と合致しないため、無視を決め込んでいます。

 

巫女(シャーマン)はご存知ですよね。巫女(シャーマン)にとってかかすことの出来ない物の一つにこの琴があったのです。巫女は大地という神と同調するため琴を弾けなくてはなりません。それゆえ日本では横型の琴として今日まで存在しています。アフロディーテもアポロンも卑弥呼も巫女だったゆえ、琴を携えていたのです。天照大神は平安時代に日本書紀によって女性として祭られるようになりましたが、本来は男神でした。

 

当時の琴は超低音域の楽器であったのですが、時代と共に高音域を発する楽器へ変化していきます。ただ、黄河流域、満州、朝鮮半島では低音域の楽器として今日でも存在演奏されています。現在の韓国の伽耶琴は眞に低音域のみの横琴として演奏されています。

 

歴史は流れ、世界中に広まった琴は、現在、チェコやドイツ周辺の地域において高音域の楽器、竪琴(ライアー)として蘇っています。それが竪琴として日本へ、平成になり、横琴とは別物として新しく入ってきました。日本において神社の巨大杉の香りに包まれて奏でるサウンドは、大地の自然振動と調和しながら、スピリチュアルな癒しの効用をわたしたちへもたらしてくれるのでしょうね。竪琴はスピリチュアルな側面を持った、心、温まる、癒しの弦楽器なのです。更に大地、地球、宇宙と同調する神の楽器と言っても良いと思います。


巫女やシャーマンは男性もいたようですが、殆どは神がかりしやすい女性がその地位にいました。

     

そろそろ、この文章の結論がやってきました。

 

竪琴は女性が奏でてこそ、その楽器の持つ歴史的スピリチュアルな音楽を創造できるのです。

 

                日比 伸也

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